【学校編1-2】

午後三時のお茶会で、少年少女はサボり魔を語る



 日曜日の午後。
 爽やかな青空の下、他人の家のベランダで、彩葉はガーデニングにいそしんでいた。
 プランターに軽石を敷き詰めて、培養土をかぶせていく。小柄な体に土の袋は重そうだが、手伝ってくれる人は誰もいない。
 プランターの半分まで土をいれたら、肥料をまき、スコップで混ぜ合わせる。

 その背後で、拓夢はサンドイッチをのせた皿をテーブルに置く。
 今日の茶菓子はツナと卵のサンドイッチだ。
 鼻歌を歌う彩葉を一瞥し、彼は静かにベランダから出ていく。

 プランターの用意が整うと、彩葉は傍においてあったダリアの苗に手を伸ばす。花はまだ咲いていない。蕾が順調に育っている、市販の苗だ。
 彩葉はビニールポットの中から苗を取り出し、軽く根をほぐす。そしてプランターに苗を植えていくのだが、

「お茶の用意ができたぞ」

 途中で拓夢の声がかかった。
 彩葉は振り向かず、作業を進める。

「今日の紅茶は?」
「ウバだ。ミルクも用意してある」

 ティーポットとティーカップをテーブルに並べた拓夢は、彩葉の後ろ姿に目を向ける。彼女はベランダの片隅で園芸を楽しんでいる。

「そろそろ終わりそうか?」
「うん。これで終わり」

 彩葉がスコップを持って立ち上がる。その足元には、長方形のプランターに二つ並べて植えられた花がある。

「それ、何の花だっけ?」
「ダリアだよ。オレンジ色の、丸い花を咲かせるの。楽しみだね」

 拓夢は花に詳しくないので、ダリアといわれても姿が浮かばない。

「まあ、そうだな」
「手洗ってくる。お茶のんだら片付けるね」

 彩葉はスコップを手すりの上に置き、家の中に入っていく。
 マリーゴールドとサルビアのプランター、ダリアのプランター。
 殺風景だったベランダが、どんどん彩られていく。彩葉の気が変わらないうちは、もっと賑やかになるのだろう。
 拓夢は紅茶をカップに注いでいく。その間に彩葉が戻ってきた。

「今日はサンドイッチなんだね」
「昼ごはん食べてないからな」

 サンドイッチのサイズはバラバラで、見栄えがいいとは言えない。が、今日は意地悪をする気分ではなかったのか、彩葉は何もいわず椅子に座る。

「何かあったの?」
「いや、何もなかったから食べなかった」
「陽介病?」
「そうじゃない。食材がほとんどなかったんだ。だから昼を諦めて、買い出しに行った」
「ふーん、それはご苦労様」

 拓夢が席についたのを合図に、二人のお茶会は始まる。


その後の陽介

 彩葉は紅茶にミルクを注ぎ、ティースプーンでかき混ぜる。すると、カップの中で渦をまきながら、紅茶とミルクが一つになっていく。完全に色が調和するまで、ぐるぐる回す。

「ところで、最近陽介の調子はどうだ?」

 ウバのミルクティーが完成したタイミングで、拓夢が声をかけてきた。

「陽介?」

 スプーンをソーサーの上に置き、彩葉は顔を上げる。

「ほら、この間、陽介が来ないって嘆いていただろう。あの後から来るようになったのか?」
「ああ、委員会のこと――うん、今は来てるよ」
「でも相変わらず寝てるんだろう?」
「いいや、ちゃんと起きてるよ。真面目なんだ、最近の陽介は」

 返ってきた答えは、予想とは違った。
 拓夢はサンドイッチを頬張りながら、意外だ、とまぶたを動かす。

「仕事をしているのか、あいつが」
「うーん……仕事というか……」

 彩葉がカップに口をつける。温かい甘みが広がり、頬が緩む。

「起きて、ずーと見てるんだよね」
「なにを?」
「彩葉を」
「なぜ?」
「分からない。でも、視線はずっと感じるよ」

 彩葉が花壇の水やりをしている、その様子を、気だるそうな表情で見ている陽介がいる。
 何も手伝わず、石像のように動かず、ただ彩葉を見ているだけの姿が、真面目だとは思えない。真面目というのは、与えられた仕事をきちんとこなす人のことを言う。
 なので、この場合はむしろ、

「そうか。ボディーガードができてよかったな」
「うん。そういうと、サボり魔からグレードアップしたように聞こえるね」
「役に立たないのは相変わらずだが」
「それは仕方ない」

 きびきび働く陽介など、人格崩壊を起こした別人だ。


危険だからこそ

 彩葉がカップをソーサーに戻す。

「まあ、陽介のことだ。たぶん警戒しているんだろうな」
「何に?」
「お前しかいないだろう」

 紅茶を飲みながら、拓夢は指摘する。
 彼は基本的にミルクは入れない。ストレートで飲むのが好みだ。

「彩葉に警戒? どうして?」

 サンドイッチに手を伸ばしていた彩葉の動きが止まった。予想外の指摘だったらしい。
 きょとんと拓夢の顔を見る。意味がわからない、と首をかしげている。
 その様子を見て、拓夢はわざとらしくため息をつく。
 彩葉には警戒される理由に心当たりがないようだが、拓夢にはたくさんある。

「本当に覚えがないのか?」
「うん、だって彩葉、警戒されるような人じゃないよ」

 見た目だけを見れば、そうだろう。しかし中身は、無垢な少女の皮をかぶった悪魔だ。
 拓夢は沈鬱な表情で、陽介の愚痴を思い出す。

「じゃあ聞くが、お前、陽介にジョウロで水ぶっかけたことあっただろう?」

 全身びしょ濡れで教室に戻ってきた陽介が一言「あいつは悪魔か」と呟いていたのを思い出す。

「うーん……それはよくやるよ」
「ジョウロを頭に落としたこともあったらしいな」

 脳天をさすりながら教室に戻ってきた陽介が一言「あいつは人じゃねぇ」と嘆いていたのを思い出す。

「それは、陽介が眠そうだったから、起こしてあげようと思ったの」
「ついこの間は、木から蹴り落としたんだったか?」

 保健室から教室に戻ってきた陽介が一言「もう嫌だ」と愚痴っていたのを思い出す。

「なかなか降りてきてくれなかったからね。不可抗力だよ」
「……警戒して当然だと思わないか?」

 陽介がこれまでに受けている暴力の数々は、決して生易しいものではない。ヘタすれば、大怪我をしていた可能性だってある。
 しかし彩葉は悪びれない。サンドイッチを手にとって、一口サイズにちぎる。

「陽介は雑草並に強いから平気だよ」
「雑草って――」
「いつも地面に転がってるんだもん。雑草だよね」

 どうやら思いのほか、日頃の鬱憤が溜まっているらしい。


やればできる子

「あ、でも、昨日の陽介はいつもと違ったよ」
「というと?」
「彩葉がジョウロに水を汲みに行こうとしたら、陽介が行ってくれたの」
「それは本当か?」

 だとしたら、今日は空から槍が降ってくるはずだ。
 陽介は、誰かが目の前で大変そうにしていても、面倒くさいからといって手伝わない、筋金入りの面倒くさがりだ。
 その陽介が、わざわざ彩葉の手からジョウロを奪い取り、すすんで水汲み場まで足を運んだとは思えない。

「最初は逃げる気かなって思ったんだけど、紆余曲折を経て戻ってきて」
「……何なんだ、その紆余曲折は」

 なぜか物騒に聞こえた肝心なところが抜けている。
 拓夢は眉をひそめて指摘するが、彩葉は気にせず続ける。

「驚くことに、陽介が花の水やりしたんだよ!」

 それはもう、本当に嬉しそうな笑顔で。
 その笑顔を見る限り、陽介が水やりをしたのは事実らしい。しかし、

「お前、陽介を脅しただろ」

 拓夢には、愛らしい笑顔を浮かべた少女が気だるそうな少年にナイフや銃口を突きつけている光景しか思い浮かばない。少年はしぶしぶ花に水をやっている。

「失礼な! 彩葉が人を脅すような人間に見える?」
「ああ、ものすごく。なぜ来るようになったかも疑問だったが、腑に落ちた」
「落ちてないよ」
「ありがとうな」
「どうしてお礼いうの?」
「察しろ」

 いくら陽介でも、命の危険を感じると動き出すらしい。
 ――いいことを知った。と拓夢はにやり笑う。


友達付き合い

 しばらくの沈黙の後、

「お前、最近優希に似てきたよな」

 出会った当初は人を雑草と呼ぶほど性格が悪くなかった、と拓夢は語る。

「えー、あそこまで性格悪くないよ」

 それに対して彩葉は心外だと唇を尖らせる。そのことに、拓夢は安堵する。

「よかった、少しは自覚があるんだな」

 空になったカップに、二杯目の紅茶を注ぐ。

「付き合う友だちは選んだ方がいいぞ」
「それは、拓夢にも言えることだと思うけど」

 拓夢が戻したティーポットを、彩葉が持ち上げる。

「俺にはあれほど性格の悪い友達はいない」
「そうなの? 可哀想に」
「なにが可哀想なんだ?」
「だって、性格が悪い人ほど、味方にしてしまえば怖くないよ。でも拓夢は、優希を敵に回そうとしているよね。付き合う友達は選んだ方がいいと思うけどな」

 ウバをカップに注いだ彩葉は、ミルクを入れず、そのまま喉に流し込む。

「……どんどん黒くなっていくよな、お前」


お花畑計画

 ごちそうさまでした、と彩葉が一足先に席を立った。
 そして真っ先に向かったのは、ガーデニングの作業現場。

「彩葉」
「ん?」
「その花、持って帰らないのか?」

 土袋の口を洗濯バサミでとめ、スコップをベランダの定位置に戻す。スコップは木製のフェンスにぶらさげて、土袋は「倉庫代わりだよ」と彩葉が木の板で作った箱の中に収められる。

「うん。ここに置いておくよ」

 そういった「ガーデニング用倉庫」を他人の家のベランダに設置するくらいだ。花を持って帰らないのもいつものこと。彩葉いわく「アパートには置く場所がない」らしいが、

「あれくらいならアパートででも十分育てられるだろう」

 せっかく植えた花が、男だらけの家においてあるのも可哀想だと拓夢は常々思っている。
 この家に、花を愛でるような男は住んでいない。花をむしるような男なら住んでいる。

「でも、ベランダは家庭菜園になってるんだよね。ミニトマトとピーマンとナスを育ててるの。だから定員オーバーだよ」

 男世帯の家には花よりも野菜の方が似合っている。いっそアパートの家庭菜園と一軒家の花々を交換すればいいのに。と心の中で文句を言っても彩葉は答えてくれない。

「それにここは、花に囲まれたベランダにしたい。アパートだと狭いから、彩葉の理想通りにはならないんだよね」

 花に囲まれたベランダ。それが普通の家庭なら様になるかもしれないが、むさっ苦しい一軒家ではいかがなものか。

「ここ、お前の家じゃないんだが」

 小さく呟やかれた苦言に背を向け、彩葉はプランターの傍に膝をつく。
 ガーデニングが趣味の彩葉は、案外過酷だと言われている園芸委員会の仕事を楽しんでいるのかもしれない。

「ま、別にいいけどな」

 拓夢も紅茶を飲みきって、席を立つ。椅子をひく音に反応して、彩葉がくるりと振り返る。

「あれ? サンドイッチ一個残ってるよ」
「俺はもういい。食べるか?」
「じゃあ食べる」

 寄ってきた彩葉に、サンドイッチを差し出す。最後に残ったのは、一口で食べられる大きさだ。
 手が汚れている彩葉は、子犬のようにパクっとサンドイッチを口にくわえる。
 美味しそうに食べる彩葉を眺めていて、ふと思う。
 ――今日の彩葉は、ずいぶん機嫌がいい。
 何かがあったのだろうと朧気に感じながら、拓夢は颯爽と片付けを始めた。