頬杖をついて、シャーペンをくるくる回していると、本日十五度目のチャイムが鳴った。
今のチャイムは、授業の終わりを告げる音。先生が教室を出ていった途端に、教室は賑やかになる。これで、今日一日の授業は全て終わった。都会の人混みを凝縮したかのような喧騒に包まれるのも、無理はない。
これから十分後に、十六度目のチャイムが鳴るはずだ。今度のチャイムは委員会活動の始まりを告げるチャイム。
「あー、かったりーな」
次の活動が始まるまでの、つかの間の休息。
教科書を片付けていると、後ろの席から覇気のない声が聞こえてきた。
「いつものことだろう」
「いつもよりかったりーんだよ」
振り返らなくても、声で分かる。後ろの席には、倦怠オーラが充満している。
「ま、行ってくらぁ」
だがその倦怠オーラをどうにか払いのけて、後ろの彼は立ち上がったようだ。
拓夢は振り返らない。ただ、片手を少し上げて健闘を祈る。
それから、数分後の出来事。
そろそろ活動場所に移動しようかと思っていた矢先のこと。
やすらぎの一時は、唐突に幕を閉じた。拓夢の真横にあった窓が、勢いよく開いたのだ。予期せぬ事態に肩が飛び跳ねたが、幸いなことに誰も見ていない。
「あれ、拓夢だ。窓一つ間違えちゃった」
「……お前、珍しいな」
窓から顔をのぞかせているのは、違うクラスの女子生徒――教室がわりと離れているので、校内では遭遇率の低い友人、彩葉だった。
彩葉は窓から首をのばし、キョロキョロ教室を見渡しはじめる。
「もしかして、今日は来てない?」
「誰が?」
「陽介が」
「ああ、あいつなら、授業が終わったあとすぐに教室を出ていった」
陽介の席は、拓夢の真後ろ。後ろの席の彼はもういない。
「にっ、逃げられたぁ……」
「逃げられたらまずいのか?」
拓夢が知っている二人の共通点は、園芸委員会で一緒に活動をしているということ。彩葉が今のタイミングで陽介を求めてやってきたということは、委員会絡みの用事があったのだろう。
しかし陽介は、面倒なことが嫌いなサボリ魔だ。委員会の仕事をまじめにしているとは思えない。園芸委員という、十四ある委員会の中でもっとも重労働をかせられる活動であれば、なおのこと。今さら逃げられることが、どうしてまずいのか拓夢には分からない。
「うん、まずい。さぼるのはいつものことなんだけど、この前から委員会に来なくなったんだよ。それで困ってて」
「さぼるのはいつものことなんだろう?」
「そうなんだけど、前までは、活動場所の近くでさぼってたから、来ないわけじゃなかったんだよ」
彩葉がしゅんとうなだれる。
園芸委員会は、二人一組で与えられた担当区域の花壇の管理をする。彩葉のペアは、運が悪いことに陽介だ。たぶん花壇の管理は、彩葉一人でしているのだろう。それを思うと、
「大変だな、お前も」
「でしょう。まあ、いてもいなくても同じだから、彩葉的にはいなくてもいいんだけど」
「じゃあなんで迎えに来たんだ」
「委員長命令だよ。昨日、定期チェックがあったんだけど、そのときに陽介いなかったんだ。委員長は彩葉の監督不行き届きだって言うんだよ。酷いよね」
陽介が園芸委員会の中で厄介者扱いされているのは目に見えている。だからたまたまペアになった彩葉は、彼のお守役なのだろう。拓夢だって、クラスではそういう立ち位置だ。
普段の陽介を知っているからこそ、同情せずにはいられない。彼は本当に困ったサボリ魔だ。
「まあ、そういうことだから、陽介見つけたら、命が危ないよって伝えておいて」
「命が?」
「うん。だって委員長、剪定ハサミ片手に朽木を今すぐ連れてこいーって怒鳴り散らしてたんだもん。殺す気満々だよね」
園芸委員会の委員長がどんな人かは知らないが、剪定ハサミで襲われては笑いごとにならない。
「分かった。見かけたら、一応声だけはかけておく」
「うん、ありがとう。よろしくね」
彩葉がぶんぶん手を振りながら去っていく。
その姿を見送ったのが、数分前の出来事。
木の上の少年 |
活動場所への移動中。
今日は空が綺麗だな、と上を向いて歩いていたら、たまたま陽介を発見した。
「これは完全に、サボる気だな」
陽介は校舎の中庭にある、小さな森の一角にいた。枝に腰を掛け、幹に背を預け、眠っている。顔は見えないが、枯れ草色の、鳥の巣のような頭は、間違いなく陽介のものだ。
「おい、陽介! 起きろ!」
数分前の彩葉の言葉を聞いていなければそのまま無視したが、声をかけると約束してしまった以上、素通りはできない。できる限り声を張り上げるが、陽介はぴくりとも動かない。
(どうして枝の上で寝れるんだ)
拓夢にはできない芸当だ。やろうとも思わない。
「陽介!」
幸いにも、ここは中庭。人が少ないので、拓夢も除々に声を大きくしていくが、それでも反応が返ってこない。
(こいつ、意図的に無視ってるんじゃないのか?)
声が届かないのなら、実際に体を揺すってやればいい。
そう思って太い幹に体当たりをしてみるが、ピクリとも動かない。枝がわずかに揺れたが、その程度だ。
他に何か方法はないか。辺りに視線を巡らせると、足元に石が転がっていることに気づく。
(まあ、死にはしないだろう)
拓夢は膝を曲げて小石を一つ拾った。手のひらにすっぽりとおさまるくらい、小さな石だ。拓夢はそれを、木の上で爆睡中の陽介に向かって投げつけた。
ところが力が足りなかったらしい。石は陽介に届く手前で落ちてしまった。陽介は高い位置で眠っているわけではないので、適当に投げればあたると思ったのだが、
「……意外に難しいな」
拓夢は二つ目の石を投擲する。しかしこれもまた、あたらない。起きる気配もない。
それから三つ目、四つ目と立て続けに石を投げるが、どれもかすりもしなかった。
(イライラするな、これ)
仕方ないので、五つ目の石は大きなものを選んだ。手のひらに収まる大きさではない。
(これなら、確実に当たるだろう)
重みのあるその石を拾いあげたところで、拓夢はふと気づく。
後方からの、鋭い視線に。
人間として最低な |
石を手に持ったまま、おそるおそる振り返ると、見るだけで心臓が痛くなる顔がそこにあった。
「……拓夢さん」
声を聞くだけで鳥肌が立つ、小さな悪魔が眉をひそめて拓夢を見つめている。
白いカッターシャツの上にからし色のカーディガンを着た少女――のように見えるが、下に格子柄の長ズボンをはいている少年。金髪の彼は彩葉のクラスメイトだ。
「貴様、いつから見ていた?」
「ああ、見られたらマズイという自覚はあったんですね」
その少年――優希は拓夢の手の中にあるもの凝視している。
「なかなか起きなかったんだ。仕方ないだろう」
「どうして木に登るっていう発想がでてこなかったんですかね」
木の上で眠る友人に石を投げつける自分。周囲のことを考えると、あまりよろしくない光景だ。そのことに、今さらだが気づく。周りに人がいないからと、何も考えてなかった。
「木に登ると危ないだろう」
「石を投げつける方がよほど危ないと思いますけど」
返す言葉もない。
「傷つくことが分かっているのに、あなたって人は、バカですか」
いつも人の弱みにつけこんで、高らかに笑っている非人道的人間から正論を聞かされると、正直つらい。
拓夢が持っていた石を地面に落とすと、どす、と重たい音が響いた。たぶん投げても、重すぎて届かなかっただろう。万が一届いたら、陽介が重症を負っていたかもしれない。
優希の視線が痛い。まともに目を合わせることができない。
「ああ、俺はバカかもしれない」
「ええ、本当に。僕には理解しかねますね。どうして自分が傷つくことが分かっていて、石を投げ続けていたのか。あなたのその不器用さで、石が当たるとでも思ったんですか?」
……つらい。
危険を察知 |
優希にことの経緯を説明すると、
「つまり、あなたは陽介さんを起こそうと自虐的な行為を繰り返していたんですね」
「だから違うと言っているだろう」
捻くれた解釈しか返ってこなかった。
「声はかけてみたんですか?」
「……ああ、何度も叫んだ」
「それはそれで引きますねぇ」
「何とでも言え」
陽介は、まだ寝ている。石が当たらなかったのだから、当然といえば当然だ。それでも少しは、身の危険を感じて起きてほしかった。
「僕が呼んでみましょうか?」
「誰が呼んだって同じだろう」
「いいえ、違いますよ。だって僕は、あなたよりも陽介さんのこと知ってますから」
「気持ち悪いな」
しかしあながち、嘘ではない。優希は人の弱みを握るため、様々な手段で個人情報を収集するマニアだ。犯罪予備軍と言っていい。
その優希が、可愛らしい笑顔を浮かべたまま、すぅと大きく息を吸い込む。そして、
「陽介さーん!」
陽介の耳に届く音量で、優希が叫んだ――次の瞬間、陽介はカッと目を見開き、飛び起きる。熟睡していた人間の反応とは思えないほど、素早い動きだった。
「ほら、僕の声は届くんです」
「日頃の行いが悪すぎるんだ。少しは反省しろ」
呼び出し |
「お前ら、そんなところで何してんだ?」
陽介は、木の上で頭を掻きながら、そんなことをのたまった。どうやら、本当に眠っていたらしい。危機感を感じて飛び起きたのはいいが、状況はつかめていない、そんな様子だ。
「彩葉が呼んでたぞ。お前のところの委員長がご立腹らしい」
「マジか。そりゃ、やべーな」
と、危機感のかけらも感じられない声で陽介は言う。頭をぐしゃぐしゃ掻くものだから、髪の毛がすごいボリュームになっている。
「彩葉がとばっちりを受けているらしい。行ってやれ」
「……だりーな」
「でしたら、僕が彩葉さんを呼んで来ますよ?」
優希が横槍を入れてきた途端に、陽介の表情が硬くなる。心なしか、顔色も悪い。
「つーか、なんでお前がいんだよ、時中」
「僕ですか?」
優希を目にすると、陽介の表情は一層険しくなる。普段だらしない男が、こうして警戒モードに入ると、それなりにかっこ良く見えるのだから不思議だ。
「陽介さん、今は委員会の時間ですよ」
「それがなんだよ?」
知っているからこそ、陽介は木の上にいる。
だから、拓夢も心の中で首をかしげる。わざわざ委員会の時間であることを確認する必要はないと思うが。
「僕は、時間になってもなかなかやって来ない拓夢さんを呼びに来たんです。――委員長命令で」
そこでぽん、と拓夢の肩に優希の手が乗る。
冷や汗が、たらりと一筋。
「…………すまん」