【短編小説】

矛盾だらけの誘拐犯



 無防備な姿で眠っている彼女を見つけたとき、無意識のうちに彼女を抱きかかえ、部屋を出ていた。
 彼女の体温を意識すればするほど手放したくないなと思って、彼女の部屋を目指していたはずなのに、いつの間にか足が俺の部屋に向かっていた。
 無機質で無趣味な見慣れた部屋。そこに彼女を連れ込んだ。トビラの閉まる音がして、鼓動が少し早まった。

 それにしても本当によく眠っている。抱きかかえたまま頬をなでると、くすぐったかったのか、わずかに瞼が動いた。それでも起きる気配がないのだから、睡眠薬でも混入されたのかもしれない。可哀想に。
 おとなしい彼女をベッドにおろし、一息つく。靴をはいていたから、起こさないようにそっと脱がせた。それから部屋に置いてあった足枷を彼女の細い足首につけて、鎖をベッドの支柱に巻きつける。

 これで、逃げられることはない。足枷を外すための鍵はズボンのポケットに入れた。 
 上着を脱いで彼女の体にかける。よく見ると小さな体だ。俺よりも一回り小さい。手の大きさだって違う。ベッドの淵に座って、彼女の手に指を絡ませてみた。こんなにも細い手でどんな反抗をしてくれるのか、想像するだけで楽しくなる。

 たぶん足枷だけで泣き顔をみることはできないから、いっそこの手も縛ってしまおうか。手と足の自由を奪われたら、多少は萎れてくれるかもしれない。そこまで考えて、ふと首を傾げた。

 俺は一体、何がしたいんだ。

 手に力を込めると、彼女のうめき声が聞こえた。痛かったのかもしれない。手を離すと同時に、彼女は目を覚ました。

「ようやく起きたのか」

 上から顔を覗き込むと、彼女は目を見開き飛び起きた。危うく頭突きされるところだった。

「……ここ、どこ?」
「俺の部屋」
「…………なんで?」
「運んだからだぜ。感謝してくれよな」
「だから……なんで?」

 状況が飲み込めてくるにつれて、彼女の表情が険しくなっていく。

「他の奴に攫われる前に、俺が攫ったんだ」
「意味が分からない……というか、なに? 私、誘拐されそうだったの?」
「されそうだったじゃなくて、されているだろ、俺に。可哀想な香世」
「は? 本当に意味が分からないんだけど。可哀想だと思うなら誘拐しない――っ」

 彼女の唇に人差し指を当てるとようやく静かになった。眉間にシワが寄っていて可愛くない。それに、予想よりもずいぶん落ち着いている。おもしろくない。だからといってヒステリックに騒がれても興醒めだ。

「可哀想だと思うから、可愛がってやろうと思ったんだ」
「……ねぇ、今気づいたんだけど。足に、枷みたいなのがついてない?」
「枷みたいなのじゃなくて、足枷だぜ。香世がすぐに逃げないようにつけたんだ」
「いや、いやいや、おかしいでしょ! あんたがまともだったことはないけど、これは異常よ!」
「異常なんかじゃないぜ。俺がこういう奴だって、香世も知っていたはずだ。それなのに、無防備なまま眠っちゃったりして。襲われても、文句は言えないよな?」

 小さな肩を強く押すと、あっけなく布団に沈んでいった。
 やんちゃな彼女はすぐに起き上がろうとしたから、強い力で肩と手を押さえつけた。
 もう少し暴れるかと思ったけど、彼女の諦めは早かった。代わりに「意味がわからない」って顔をしている。目で訴えられたって、俺にも何がしたいのかよく分からないから、答えられない。彼女の問いかけから逃れたくて、柔らかい胸に顔を埋めてみた。

「ちょっ……歩! いい加減にして!」
「いい加減にしてるぜ、俺は」
「なんで急に……」
「だから急じゃないって言っているだろ」
「……何か、あったの?」

 口では罵りつつも、彼女は大嫌いな俺のことを無碍に扱ったりしない。酷いことをされても、まだ俺のことを信じようとしてくれている。そういうお人好しなところが、たまらなく好きだ。

「なぁ、香世」
「…………なに?」

 だから、原因が分かるのであれば教えてほしい。

「――……香世」

 彼女に好かれたいと思うのに、なぜか嫌われることばかりしかできない。
 いや、できないのではなく、嫌われることしかしない。
 お人好しな香世が、どこまで自分を受け入れてくれるのか試してみたくて、でも、嫌われるのは怖くて。

「俺は……何がしたいんだ? 香世――」

◆ ◆ ◆

 頭に重い衝撃があった。

「いい加減起きなさい! さっきから寝言がうるさい」

 そして上から降ってきた声によって、大体の事情を察した。痛みのおかげで眠気は死んだ。

「――酷いぜ。痛い」
「集中できないから静かにして」

 極力何でもない風を装って顔をあげると、怒気をまとった香世が目の前にいた。どうやら世界史の教科書で頭を殴られたらしい。教科書の中で一番分厚いものを選んでくるあたりに、日頃の行いの結果がうかがえる。

「俺……寝てた?」
「みっともなく寝言をほざきながらね」

 夕日のせいなのか、香世の頬が少し赤い気がする。

「寝言? 俺、何か夢を見ていたのかな?」
「どうせろくでもない夢でしょ。悪寒がしたもの」

 もう一度本の背表紙で頭を叩かれる。香世の様子を見る限り、彼女に関する寝言を呟いたらしい。
 香世が自分の席に戻り、ノートにペンを走らせる。
 ……ああ、そうだ、思い出した。放課後の教室に残って、宿題を片付けているところだった。俺が枕にしていたノートは白紙に見える。開始早々挫折したらしい。
 もう一度、香世を見る。

「きっといい夢だったんだろうな」
「そう。もう一度夢が見たいんだったら言って。世界史の教科書あるから」
「……辞書じゃなくて教科書ってところが、香世の優しさだよな!」
「そうね。じゃあ次は世界史の資料集にするわ」
「あはは、照れなくてもいいのに」
「照れてない」

 心の奥で黒く渦巻いているものに蓋を閉め、しばらくの間「うざい」といわれるまで、ずっと香世を見ていたいと思った。

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