【短編小説】

君は一人で可愛そうだと僕は笑った



 人の世界は人でできている。だから僕は、一人で生きていけるんだと格好つける奴が嫌いだ。
 なぜって、じゃあ一人で生きると胸を張って主張した君に聞こう。
 君が今着ているその服は一体誰が作ったんだ? 君が今手にしている文具は、カバンは、メガネは? それらは君一人では作れなかった代物だろう。
 一人で生きる、なんて不可能なことをほざくなよ。本当に一人で生きたいなら、とっとと無人島にでも行ってしまえ。

 ああ、でも「一人で生きる」と「一人でいる」はニュアンスが違うよね。僕は前者の人間は嫌いだが、後者の人間は嫌いじゃない。人のことは言えないしね。かといって、僕は一人でいることを強制されているわけじゃない。なんたって社交的な僕の受け入れ先はたくさんある。気の合わない連中が多くて嫌気がさすけど、それさえ我慢すれば僕はいつも一人じゃない。
 だからこそ言えるんだ。周りに馴染めない惨めなさまがおもしろいってね。

 君ってさ、僕と違って本当に不器用だよね。もちろん君が「一人でいる」と認識しているのは僕くらいだろうけどね。だって普段の君は普通にクラスメイトと笑って喋って、後輩に慕われて、先輩には嫌われているけど、頼りがいのある子だもんね。

 だけど、君はひとりだ。
 なぜって、君はすでにみんなのヒーローになってしまったから。

 色々な人に頼みごとをされて、色々な人の相談にのって、色々な人の手助けをして、そんな些細なことが積み重なっていって、君はとうとう一人になってしまった。
 君は誰にも助けを求めず、いや、求められなかったのかな。全てを抱え込むことで高尚な孤独を選んだ。
 君は正義の味方と同じさ。子供のころに誰もが一度は憧れるあれ。ヒーローってさ、みんなの期待を背負って戦うわけ。負けは許されない。負けたヒーローはその時点でみんなに失望されて、期待はずれだと簡単に切り捨てられちゃうからね。
 君もそうなんだよ。頼りがいがあって使い勝手のいい子だからこそ簡単に捨てられる。
 本当の意味での一人って、そういうことじゃないかな。
 君のようなヒーローになった人間は、悪意をもって孤立させられる人間よりもずっとかわいそうだ。

◆ ◆ ◆

 昼休みの賑やかな時間帯に、どうしても一人になりたいときがある。そんなときは、美術室へ行くことにしている。独特の匂いは気に入らないが、静けさを求めるなら最高の場所だ。
 昼食を食べたあと、用事があるからと適当な理由をつけてクラスメイトから逃げ出してきた僕は、その足で美術室へとやって来た。

 いつもなら誰もいない美術室。
 ところが、今日は独りぼっちのかわいそうな女の子が、美術室の先客としてそこにいた。

 今日の機嫌はちょっと悪いみたいだ。それなりに長い付き合いだから分かる。彼女は機嫌が悪いとき、大体前髪がぐしゃぐしゃになっている。イライラすると前髪を掻き上げちゃう癖があるんだよね。まるで寝癖みたいだ。
 彼女は色紙に何かを描いていた。何を描いているんだろう? 美術室に僕という(自分でいうのもなんだけど)最大不幸の侵入者が入ってきたにも関わらず、彼女はそれに気づいていない。素晴らしい集中力だと心の中で喝采した。口に出すと邪魔するなといって尖った鉛筆が飛んできそうだ。
 でもさ、そんなに集中している姿を見るとついつい邪魔したくなっちゃうのが人間ってもんだよね。さて、どんなちょっかいをかけてやろうか。
 そんなことをのんびり考えていたせいか、彼女は僕に気づいたみたい。僕を見るなり露骨に嫌そうな顔をしやがった。邪魔するなってオーラがぷんぷん出ているけど、そんなことを気にする僕ではない。

「やっほ。何やってんの?」
「それこっちの台詞。用もないのに美術室に来ないでくれる?」
「僕は一人になりたくてここに来た。用がないわけじゃない」
「残念だけど、今日は私が先客。一人になりたいんだったら他のとこ行けば?」
「香世こそ、そんなに僕が嫌なら他のとこ行けば? 絵ならどこででも描けるだろ」
「美術室は絵を描くためにある場所だっつーの。少なくとも、一人になるための部屋じゃない。あんたが出てってよ」
「僕は気が変わったんだ。香世がいようがいまいが関係なし」

 このやり取り、延々と続きそうだなぁって思ったけど、案外彼女の方が先に折れた。盛大なため息をおつきになって、また絵を描くことに集中し始めた。どうやら、僕を追い出すことは諦めたらしい。

 さて、君は何を描いているのかな? 早速色紙を覗き込んで見ると、どうやら似顔絵を描いているらしいことがわかった。妙にリアルで気持ち悪い。いや、彼女の絵が下手ってわけじゃないよ。むしろその逆だ。上手すぎて気色悪いったらありゃしない。
 僕は似顔絵を描くよりも写真を貼りつけた方が早いと思うけどな。役割は同じなんだし、かける手間を考えると写真の方がずっと効率的だ。彼女には理解されないだろうけど。
 彼女の描いている似顔絵はどこかで見たことのある顔だけど思い出せない。少なくとも、今生きている人の顔だろう。歴史上の人物にしてはごくごくありふれた平凡な顔立ちをしている。つまり現代的ってことだよ。こんな特徴のない顔で歴史の教科書に出てこられたりしたら、たまったもんじゃない。百年後ならいいけど。

「ねぇ、また頼まれごと?」
「……今度、五組の担任が産休に入るの知ってる?」
「今知った」
「産休に入るの。で、五組の有志で寄せ書きを書くことになったんだって。だからその色紙の真ん中に先生の似顔絵を入れたいと」
「写真でも貼りつければいいのにね」
「写真と似顔絵じゃ味が違うでしょ」

 確かに、現像液と鉛筆の芯の味は違うだろうけど。

「非効率的で実に時間がもったいない気がするけどそれはさておき、一組の香世が描く必要性は?」
「頼まれた。それだけ」

 ほら、今日も君は一人になろうとがんばっているわけだ。
 誰に頼まれたのかは知らないけど、君ってそんなのばっかり。たまには断ればいいのに、と僕は思う。そう言うと絶対「断る理由はない」なんて可愛げのない答えが返ってくるんだろうけどね。

「君さ、利用されるだけされて、あとでポイッて捨てられちゃうこと考えたことないの?」
「別に捨てられるほどの縁なんてないし。私は好きでやってんの。強制されてやったことなんか一度もない」
「とかなんとか言いつつ、お人好しだから断りきれない悲しい性の持ち主だよね、君って」
「うっさい」
「かわいそうに。僕が同情してやろう」

 本当に同情しているよ? 君ってやっぱりかわいそうだ。

「あのさ、貸し借りって言葉知らないの? 色々貸しておけば、いざというときに力を借りることができるわけ。ようはギブアンドテイクってやつ」
「でもそれはあくまで利害関係であって、君はひとりだ」
「ああ、そういうこと。……いいの、別に。一人の方が気が楽だし、私どうも利害のない関係ってやつが苦手で」
「それがかわいそうだねって僕は言ってるんだ」

 利害のない関係が苦手な高校生って、一体世の中に何人くらいいるんだろう。結構希少価値があるんじゃないかと思う。
 だって、普通の子供は損得勘定なしで友達ができることに何の違和感ももたないだろ。それが自然の成り行きってやつでさ、むしろ最初からビジネス的お付き合いを企んでいたら感心しちゃうよ。もちろん完全にいないわけじゃないけど、彼女に頼みごとをしてくる人たちですら、そんな考えは持っちゃいないと思うよ。

 君がどんな環境で育ってきたのかは知らないけど、これはおもしろすぎる。笑いがこみ上げてくるよ。
 そんな僕の態度が癪に障ったのかな? 君の表情は険しい。でも君は怒らない。何か言いたげな顔をしているくせに、僕がそういう人間であることを思い出して、すぐに諦める。怒ったらからかってやろうと思っていたのに。

「……そうかもね」
「珍しく素直に認めるの? 今日は帰りに槍とか降ってこない?」
「あんたが後ろから刺されることはあるかもだけど、槍は降らない」
「香世が刺すの?」
「私が手を下さなくても、あんたの売った喧嘩を買ってるやつってそこらじゅうにいるじゃん」
「酷いな。向こうが喧嘩を売って来るんだ。僕はいつでも買う側だよ」
「買った喧嘩をまた売るからたち悪いの。バカみたいって思わない?」

 僕はそんなに喧嘩好きで血気盛んな性格じゃないと思うけどなぁ。
 君には僕が一体どういう風に見えているのだろう。
 まあ、かといって頭ごなしに否定することもしないよ。香世の言葉はある意味的を射ている。僕は売られた喧嘩は全部買収して、二倍の値段で売るからね。それをさらに三倍の値段で売られたら、四倍の値段で売り返す。

「うーん、女の子には分からない男の子のプライドってやつ、かな」
「憂さ晴らしの間違い」
「憂さ晴らしなら香世でしてる。喧嘩はただのストレス発散だ」
「どっちも同じじゃないの?」
「同じじゃないよ」

 精神的にと身体的にという違いがある。だけど、彼女にとってはどうでもいいことみたい。ふーんと言ったきり、言葉が返って来なくなった。僕もネタ切れだ。
 彼女の描く似顔絵は、もうちょっとで完成なんじゃないかな。僕はもう十分だと思うけど、彼女にとっては納得のいかない部分があるらしい。別に他人にあげる絵なんだからさ、そこまでこだわる必要はないと思うんだけどね。

 僕は美術室の少し離れた場所から彼女を眺めてみた。
 彼女は似顔絵を描くことに夢中だから、僕の視線に気づいていない。気づいていても、無視するだろうけど。

 誰かに頼まれた、誰かのために描く似顔絵。

 君は一人で可哀想だ、と僕は笑った。


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