【歩・季砂ルート scene ak-1】

お人好しの日常業務



 放課後になると、風紀委員会に所属する生徒は一度委員会室に集まる。設備の整ったこの部屋で情報を共有し、巡回ルートを確認してから活動が始まるためだ。
 校内の巡回はほぼ毎日行う。二人一組が原則だが、人手が足りないこともあり、訓練を積んだ一部の委員だけは一人で巡回を行う。
 私もその一部の一人だったが、奏先生の配慮で今日から季砂とペアを組んで巡回することになった。季砂との巡回は久しぶりだ。
 個別に与えられているロッカーの前で巡回の準備をしつつ、季砂が不機嫌を隠そうともしない声で話しだす。

「いいか。俺は基本問題行動を起こしている生徒を見かけても関与はしない」
「それって、巡回の意味なくない?」
「お前、頼むから余計なことに首を突っ込んでくれるなよ。仮に面倒なことになったとしても、俺は一切関与はしない」
「分かってるって」

 もう何度同じ台詞を聞いたことか。いい加減聞き飽きてきた。

「いいか、絶対だ。もう一度いう。お前は、歩のことをトラブルメーカーだと日頃散々言っているが、お前もトラブルを引き寄せやすい体質であることを忘れるな。トラブルに好かれやすい奴が自ら首を突っ込んでいくと、絶対ろくなことにはならない」
「だーかーら、分かってるっつーの!」

 季砂が何度も何度も念を押してくるのには色々とわけがあるし、心当たりがないこともない。だからといって、そう何度も言われなくても、言葉の意味は理解できている。

「……約束は守れよ?」
「守れたらね」
「絶対だ。俺に迷惑がかかるようなことがあったら、即座に見捨ててやる」
「しつこいってば。迷惑はかけないって言ってるでしょう」

 腕に特性のホルダーを巻き、懐中電灯を装備する。まくっていたセーラー服の袖をおろし、その上から灰色のカーディガンをはおって、最後に風紀委員会の腕章をつけて準備完了だ。一応、髪は後ろでくくっておく。

「……やる気満々じゃねぇか」

 季砂が眉間に皺を寄せている。言葉遣いにも素がでている。どれだけ嫌なんだ、と私もにらみ返した。

「念のためよ、念のため。あんまりにもうるさいと、今度から歩と一緒に父さんって呼ぶから」
「とっ……」

 絶句する季砂を尻目に、私は委員会室を出た。

◆ ◆ ◆

 巡回中は女子に声をかけられることが多い。女の風紀委員が私だけだから、女子生徒からの相談が殺到してくるのだ。

(殺到するほど、いつも問題があるっていうのもどうかと思うけど……)

 それが現実だ。
 季砂はそのことを知っていて、始終うるさく小言を言っていたのだが、「如月先輩、助けてください」という声を無視できるほど、私も非情にはなりきれない。

「なにかあったの?」
「友達が鬼と喧嘩してるんです。止めようとしたんですけど、全然聞く耳もってくれなくて……」
「喧嘩の原因は?」
「席替えをしたんですけど、気に入らない席になったみたいで、席を変えてくれって鬼にいちゃもんつけられたんです」

 なんてくだらない、とは思うが、鬼と人との間で生じる些細な諍いごとは決して珍しいことではない。

「分かった。案内して」
「おい!」

 季砂に呼び止められた気がしたが、喧嘩は止めなくてはならない。
 ただの喧嘩でも、暴力沙汰に発展してしまったら、笑い事ではすまされない。

「如月さん!ちょっと来てぇ!」
「今度はなに?」

 季砂の抑止の声を振りきって喧嘩の仲裁に行こうとすると、今度は反対側から声をかけられた。

「階段から転んで動けなくなった生徒がいるの! 運ぶのを手伝ってほしいんだけど」
「あー……それ、季砂お願い」
「は?」
「私、喧嘩の仲裁をしてくるから、季砂は怪我した生徒をお願い」
「いや、お願いって……」

 巻き込むなとは言われたものの、これが風紀委員の仕事だ。

「私もすぐに行くから!」

 季砂がぶつぶつ文句を言い出す前に、私は助けを求めてきた少女と一緒に走り出した。


 季砂と合流できたのは、それから数十分後のことだった。
 保健室に生徒を運んだ季砂は、そのまま巡回ルートに戻ってきたらしい。

「あ、ちょうどよかった」

 女同士のえげつない争いにケリをつけさせ、巡回に戻るついでに季砂を探そうとしていたのだ。
 手間が省けたと喜んだのもつかの間、季砂が苛立たしげに私の頭をわしづかみにしてきた。

「……如月、ちょっといいか」
「痛い、痛いってば!」

 頭蓋骨がみしみしいっているような気がする。

「俺は何度も言い聞かせたはずだが、言い足りなかったか?」
「なっ、なんでよ! 喧嘩の仲裁も、怪我人を運ぶのも、風紀委員の仕事の範囲内でしょう!」
「喧嘩はやりたいだけやらせておけばいい。当人同士の問題だ。怪我人は風紀じゃなくても、近くの人間に運ばせればいい」

 季砂にとっては、余計な仕事だったらしい。

「そんなこと言ってたら、本当に巡回の意味がないじゃない!」
「死人が出ない程度の揉め事は、放置したって職務放棄にはならない」
「せめて死人じゃなくて、怪我人を基準にしなさい!」

 季砂の手が離れていく。頭がじんじんする。

「お前は、もっと危機感を持て。軽率な行動ばかりして取り返しのつかないことになったとしても、俺は本当に見捨てるからな」
「軽率な行動はしてないでしょう」
「いいや、している。首を突っ込まなくてもいい揉め事に、あえて突っ込んでいくそのお人好しさが軽率だと言っているんだ。いつか自分が痛い目をみることになる、絶対だ」

 それを怖がっていては風紀委員が務まらない。
 季砂に言葉を返そうと口を開きかけたそのとき、微かに聞こえてきた短い悲鳴を聞いて、反射的に体が動き出していた。

「――っだから人の話を聞け、如月!」

 誰が聞くものか。
 場所はそう遠く離れていない。たぶん、この先にある教室だ。

(そういえば、私が鬼灯に襲われたのもこの辺りだった)

 ここは特別校舎でひとけがなく、人が鬼に襲われやすい危険地帯だ。
 季砂がいくらぼやこうが、無視をするわけにはいかない。
 極力足音をたてないよう小走りで部屋を探す。どの教室から声がしたのか、さっきの悲鳴だけでは分からないからだ。

「おい、本当に行く気か」
「嫌なら季砂はついて来なくていい」
「それじゃあ意味がない――」

 またぐちぐち呟き始めた季砂に向かって静かにしてと合図を送る。
 耳をよく澄ましてみると、衣擦れの音が聞こえてくる。人の気配だ。
 腕に巻いているホルダーから懐中電灯を抜き出し、強く握る。

(とりあえず、様子をみてみよう)

 鬼が人を襲うときの目的は大体吸血だ。
 人の体に牙を突き立てている最中に、派手に乱入してしまったら、驚いた鬼がもっと牙を体に食い込ませてしまう危険性がある。
 過去に一度失敗したことがあるので、内心では焦っていても、吸血最中の救出は慎重に、かつ落ち着いて行わなくてはならない。

(もしも鬼灯一派だったら、私が襲われる可能性もあるけど……)

「季砂」

 後ろにいた季砂に、小声で声をかける。

「ちょっと、離れてて」
「は?」
「お願い。私が呼んだら来て。呼ばなかったら、隣の教室に隠れて待機してて」
「おい、たしかに迷惑をかけるなとは言ったが……」
「そうじゃない。あまり、見てほしくないだけ」

 悲鳴はあきらかに女子生徒のものだった。こういう事態に遭遇するのも、初めてではない。
 経験しているからこそ分かる。鬼に襲われている姿は、えげつないことが多い。異性にはみられたくないような光景が繰り広げられていることもある。

「一人でどうにかなるのか?」
「季砂は私を見くびりすぎ。大丈夫」

 季砂は訳が分からないという顔をしているが、言うことは聞いてくれるらしい。
 盛大なため息をつきながら、私から離れていった。

(無事だといいんだけど……)

 深呼吸をして、静かに教室の扉をあけた。
 教室の中は薄暗い。電気がついていないせいだ。
 しかしまだ夜の帳はおりていないため、中の様子がよく分かる。

「そこまでにしなさい」

 懐中電灯でそっと扉を叩くと、教室内にいた二人の鬼が同時に振り向いた。どちらも男だ。

「それは吸血行為じゃなくてただの暴行ね。今すぐに離れなさい」

 吸血行為は原則禁止されていないため、風紀の乱れとして取り締まることができない。しかし、一人の鬼が女子生徒を後ろから羽交い締めにし、もう一人の鬼が服をはだけさせ、首に牙を突き立てている様子は、誰がみても理不尽な暴力だ。
 人に害がありそうな場合は、吸血行為を止めることができるというのもルール。
 女子生徒は叫ぶことができないよう、口を押さえられている。顔色は真っ青で、今にも気を失って倒れてしまいそうだ。害がないとは思えない。

「……また女の風紀委員か」
「そのようだ」

 二人の顔には覚えがある。行き過ぎた吸血行為の常習犯だ。

「まあ、たっぷり飲んだし、いいよ。これ、もういらない」
「……」

 羽交い締めにしていた男が腕を離すと、女子生徒は膝から崩れ落ちた。
 気は失っていないようだが、体が動かないのだろう。床に座り込んだまま、立ち上がる気配がない。

(……酷すぎる)

 鬼の顔面に拳をのめり込ませたい気分だが、今はこの場を丸く納めたい。

「出ていきなさい。あとで始末書を書かせるから」
「いつも懲りないなぁ」

 鬼が口元を拭い、にやっと笑う。
 睨み付けると、彼らはくすくす笑いながら教室を出ていった。
 鬼が優位なこの学園では、こういった不祥事を起こしても、たいした罰則は与えられない。

(本当に、悔しい)

 襲われていた女子生徒は首を押さえたまま、ひどく体を震わせている。

「大丈夫。鬼はもういないから」
「わ……あっ……」

 小さな少女が、私の体に向かって倒れてくる。
 制服が乱れていて、胸元の辺りまでずれ落ちていた。
 首の傷から溢れている血の雫が、青白い肌をつたって服に染み込んでいる。

「……ふっ……あぁ……」
「しゃべらなくていいよ。大丈夫」

 いっそ痛みで意識が飛んでしまえば、あれは酷い悪夢だったと思い込むことができるのに。

(こういうことが、日常茶飯事で起こる場所)

 本当、嫌になる。